プライドが高く、プライドを捨てられない自分が嫌いな人の改善方法

人間関係

Elias Sch.によるPixabayからの画像、アイキャッチ画像:Free-PhotosによるPixabayからの画像

私はつい最近まで、
自分のプライドは低い方だろうと思っていました。
そう書けばお察しの通り、
実はものすごくプライドが高かったのです。

 

しかもたちが悪いのは、
プライドが高いことに気付いていないばかりか、
プライドは高くないと思っていたことです(笑)

 

愛想がよく腰が低い方であるため、
変なプライドなんてないと思っていました。
(実は、見せかけの謙虚)

 

そのため、
他人とコミュニケーションをとる際に、
どこか慇懃無礼な所が違和感として出ていたかもしれません。

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プライドが高く、プライドを捨てられない理由

自分のプライドの高さに気付いたきっかけは、
妻と昔話をしていた時に言われた一言でした。

 

妻:昔、プライド高かったよね~(笑)

 

その時に初めて、

 

私:えっ?!!

 

と思ったんです(笑)
そして初めて、
私はプライドが高かったんだと気付くことができました。

 

確かに、思い当たる節がたくさんあって、
仕事の成果があがらなかったり、
職場で働きづらさを感じたり、
どこか人間関係がうまくいかず生きづらさを感じたりと、
このプライドが原因だったんだと腑に落ちた瞬間でした。

 

・誰かと比べてしまう
・顔色を伺ったり、期待に応えようとしてしまう
・失敗を恐れる
・人をいじるのはいいけど、いじられると不機嫌になる
・予防線を張ったりする

 

こんな風に、
どこか自分自身に自信がなくネガティブで、
自尊心がものすごく低い人間だったんであり、
それを隠し通すためのプライドだったのでした。

 

そんな高いプライドを捨てられない理由は、
単純に自分がプライドが高いことに気付いていないからです。
もしくは、気付いていても認めていないかのどちらかです。

プライドが高く、プライドを捨てられない原因

そもそもこんな風にプライドの高い人間になってしまった原因は、
小さい頃の親との関係にありました。

 

私の両親は共働きだったため帰宅時間が遅かったため、
今考えると家で家族と会話をする時間が
ほとんどなかったように思います。

 

学校から帰宅して友達と遊んで、
家に帰ってからはずーっとテレビを見ていました。
そんな生活を繰り返していた私は、

 

寂しかったんです。
もっと話を聞いてほしかったし、
一緒にいて欲しかったんです。

 

だけどそれが言えず、
隠してしまった。
恥ずかしかったり、強がったりして
押し殺すようになってしまった。

 

その結果、自分の気持ちが素直に、
言えなくなってしまったんです。

 

そして、

 

・一緒にいて欲しい
・孤独にされたくない
・認めてほしい

 

裏返しとして、
人の顔色を伺って、誰かの期待に応えようとするあまり、
失敗を恐れるようになってしまったんです。
何かに挑戦をする時は万が一失敗しても笑われないよう、
予防線を張りながら…。

プライドが高く、プライドを捨てられない自分が嫌いな人の改善方法

今までこんな風に変な方向にプライドを立てて、
生きてきました。
プライドが高いというか拗ねていました

 

どうせわたしなんて・・・

 

そんな風に(笑)
そのことにようやく気付くことができ、
そして自分で認めることができました。

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プライドを捨てて自分を好きになる方法は、

 

恥ずかしいことをする
笑われる

 

今までこれをしてしまうと、
嫌われるんじゃないか、馬鹿にされるんじゃないか、
ダメな奴できないやつと思われるんじゃないかとか、
そんな恐怖が出てしまうことを敢えてやってみる。

 

そして、
嫌われても、馬鹿にされても、
ダメな奴でも、何にもできないやつでも、
そんな自分でも大丈夫なんだと体感すること
これが大事です。

 

私のつい最近のエピソードを一つ(笑)
自宅の近くにある少し古い小さな神社に一人で行った時、
なぜか大きな音で鈴が鳴らせず、
大きな音で手が叩けなかったんです。
家族で行くときはできるのに(笑)

 

それでできなかった理由を考えてみたところ、

 

恥ずかしかったから

 

でした。
その神社は少し前まで雑草が生い茂り、
建屋が壊れそうな所もあるくらい古くて、
閑静な住宅街の中にあります。

 

そんな神社に「まじめに」参拝してる姿を見られるのが、
とても恥ずかしかったんです。
礼儀作法をしっかりし律儀に「真面目に」
参拝をする自分を見られるのが、バレるのが怖かったんです。
(神社に失礼、すいません(笑))

 

誰かに見られているわけでもないのに、
そうやって自分の中で、監視員を立てて、
自分で自分をいつも見張っていたのでした。

 

そのため、反省の意味も込めて(笑)、徐々に徐々に、
ボリュームを上げていくようにした結果、
今では、大きい音で堂々と参拝できるようになり、
ものすごくすがすがしい気持ちになりました。

 

昔、どこかの芸人さんが、

 

笑わせるのはいいけど笑われるのはダメ

 

TVでそんなことを言っていました。
当時の私は「なるほどな~」と思っていましたが、
笑わることがダメだと笑うことが少なくなりますよね。
芸人さんでもないくせいにそんな観念も持ってたら、
そりゃ、生きづらくもなりますね(笑)。

まとめ

Cindy LeverによるPixabayからの画像

今までのプライドが高くてクズ野郎だった私の過去を振り返った時、
意外と優しく接してくれてた人が実はたくさんいたことに、
初めて気付いたのでした。

 

・きっと「うんざり」させてたはず
・きっと「めんどくさい」と思わせてたはず
・きっと「疲れるわ~」と感じさせてたはず
・きっと「うざい」と思わせたてはず

 

だけど一緒にいてくれる人がいる。
こんな自分にもたくさんいる。

 

だからこそこれからは、
そんな人たちを大切にできるよう、
本当の意味で変なプライドを捨てて、
素の自分で接していけるようにしたいと思うようになりました。

 

何よりもまずは自分を整え、
そして、周りの人たちも大切にしていきたいですね。

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